予定変更が苦手!
ASD(自閉症スペクトラム症)やその傾向がある人は予定変更が苦手だと言われている。Twitterでも「この子は予定変更が苦手なのに変更ばかり」とか「事前に知らせてくれてないからパニックを起こした!!」という保護者の方や特別支援学級担任の先生のtweetを見かける。
わかる、わかるよ、苦手だもんね。私も苦手、わが子たちも苦手だったから。予定変更が苦手というのは、見通し(予定)が立っていると安心するという特徴の裏返しだと思っている。
でも、予定変更を避けてばかりはいられないよね、とも思っている。子供の成長とともに活動範囲は広がるし、どこにいても何をしていても予定変更があるかもしれないし、ないかもしれない。私たちはよくわからない世界に生きている。
普段は時刻通りの電車でも事故とかトラブルで遅延や運休がある。大きな事故や災害があればテレビも予定を変更して特番が組まれる。もっと身近なところだと買い物に行ったら臨時休業だったとか目当てのものが品切れだったとか。変更のたびにパニックを起こしていたら本人がしんどい。だから本人のしんどさを軽減するために、予定変更に対する耐性とか、崩れた心積もりを立て直す力とか、そういうのも少しずつ育てたいなと考えて子育てをしてきた。予定変更を「理不尽だー!」と騒いで大暴れする大人になるのも困る。何かしら事情があるから変更になるのだということも、少しずつ学習して欲しいとも思っていた。
予定変更が苦手、診断を受けてから自分のことを知りたいとASD関連の本をいろいろ読み漁って知った特徴だ。当時の私はインターネットにつながる手段が携帯電話のiモードだけだったので情報収集は書籍が中心だった。
診断を受ける前、突発的な事が起きると不機嫌(不愉快な気分)になる理由が、自分でもわからなかった。だから、これを知って「なるほど、予定変更がイヤだったんだな」と自分ですんなり納得できた。子どもの頃から嬉しい事であっても突然だと微妙な気分になっていた。心の準備ができていないと戸惑いの方が大きくて素直に喜べなかった。きっと周りから見ると不機嫌そうな表情になっていたのだと思う。「かわいくない子」と言われていた原因の一つだろう。
子どもたちも昔は予定変更をすると大泣きしたりいつまでもグズグズと文句をいっていた。診断後に取り入れたのは「予定は変更することがある」を意識することだった。予定変更を予定の中に入れておくのだ。家族で約束をするときはプランA・プランB、時にはプランCまで予告した。日常の些細なことなのだけど。
- 屋外レジャー、雨なら近所のレンタル店にDVDを借りに行く。
- マックに行こう、満席ならロッテリア、それも満席ならミスドに変更。
- 電車に乗るよ、ちゃんと座ろうね、席が空いてなかったら座らないよ。
みんな予定変更はイヤだよね、という前提だけど仕方ない変更もあるよねという感じ。これで割と落ち着いた。
小学生になると時間割がある。でもこれがしょっちゅう変更になる。学校の都合、先生の都合、行事の練習など、いろんな事情がある。その変更に振り回されて子どもにしんどい思いをさせたくなかった。だから子どもの時間割に一行書き加えた。
時間割は変更することがあります。
この心積もりが子どもたちのストレス軽減の助けになっていたと思う。当時、親しくしていた知人は「この一行でパニックにならなかったよ」と言ってくれた。
でも、これを書いておけば変更して良いんでしょ、というわけではない。パニックを起こさなくても、なんだか面白くないモヤモヤした気持ちになる。やっぱり気持ちを立て直すのは負担なので小学生の間くらいはなるべく変更を少なくしてあげた方が良いと思う。
2人が通った小学校では特別支援コーディネーターの先生が、いろいろな行事の予定を作ってくれていた。そして必ず「予定は変更することがあります」と書いてくれていた。予定は変更することがある、時間割は変更することがある。これは中学生になっても、高校生になっても、大学生になってもあることだ。予定変更を予定の中に組み込んでおけるようになると本人が楽になれると思う。
子どもが中学・高校になっても急な変更にモヤッとしたストレスはあったと思う。「今日は、急に変更があった」と子どもが言った時は「あぁ、それはしんどかったね。お疲れさん」と労って事情を聞いていた。
今、2人の息子は大学生、コロナウイルスの影響で思っていたような大学生活を送れていない。先の見通しもきかないけれど何とかやっている。
ここまで書いてきて心配になった。予定変更への耐性を付けるために「予定は変更することがあります」と予告し、わざと予定変更して経験を多く積ませようなんて考えてしまう人がいるかもしれないと。そういうことは絶対にしないで欲しい。わざとそんなことをしなくても、予定変更しなくてはならない事態は何度でも起こるから。苦手なことに対して、そういうことをするのは正直なところ虐待に近いと思っている。どんな力も、日々の暮らしの中で少しずつ少しずつ育んでいくのが一番だと思う。
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