診断を受けてよかった! 発達障害の私が多数派との違いを知れた

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37歳で診断を受けてから何年経ったか?あえて計算しないが、保育園児だった年子の兄弟は大学生になった。

診断前は自分と世の中の多数派の人たちの思考や行動が違う事を知らなかったので、理不尽だと思う事が多かった。診断後にASDのことを勉強する中で多数派の人たちのことを知った。

一番ショックだったのは、多数派の人たちは「言葉を言葉通りに使わないコミュニケーション」を使うということだった。本にも書いたが「好きにしなさい」が好きにしてはいけないなんて知らなかった。

なるほど、反対言葉なのに素直に受け取って好き勝手するから大人は激高していたのだと納得したが、それを37歳までまったく気が付かないで生きてきた自分を情けなく思った。

でもわかってよかった。私と同じタイプの子どもに教えることができたから。多くの人は言葉を言葉通りに使わない。それを知っておけば多少なりともトラブルを避けることができる。

ASDを異文化と例えることがあるが、多数派の人とは思考回路が違うのだ。やっかいなのはそれが見た目でわからないこと、本人も周り「異文化」だとわかってないせいで起こるすれ違いだと思う。

診断前は本当につらかった。なにもかもがつらかった。精神的に不安定になることも多くてうつ状態を何度も繰り返していた。

当時の私は最悪の状況だったと思う。どんなに頑張ってもうまくいかないし、イライラするし、子供にも優しくできないし、努力してもできない私って存在価値ない!でも、私は努力が足りないだけかもしれない、周りの人はもっともっと頑張っているのかもしれないのに、どうして私はこんなにダメな人間なんだろうとも思っていた。

私の親の育て方が悪かったんじゃないかと思っていた。うまくいかない理由を親に求めて心の中で避難していた。幸か不幸か、私は母親と小学生の時に生別、父親は私が28歳の時に他界していたので、親に面と向かって「あんたらのせいだ!」とブチぎれるようなことはなかった。

あまりにも自己評価や自己肯定感が低かったせいか、診断そのものにショックを受けるということはなかった。

子どもの頃を思い返せば親や先生の対応はひどいと思う。半面、さぞかし育てにくい子だっただろうとも思う。仕方なかったのだ。当時は「発達障害」なんて概念がなかったんだもの。

「ちょっと違う感じ方」「ちょっと違う考え方」そういう存在をお互いに知らなかったせいで、いっぱいすれ違って傷ついて悲しい思いも悔しい思いもしたけれど「仕方なかったんだよね」と思えるようになった。

過去の自分にも親にも先生にも「仕方なかったんだ」という免罪符。過去に対するドロドロとした感情を手放せて良かったと思う。でも、これは両親と現実に関わる機会がないからこそで、現在進行形で親と関わらなければならない状況だと、どうなっていただろうとも思う。

診断を自分の過去への免罪符にしたが、未来の免罪符にはしたくなかった。私にとっての診断は、私の知らない努力の方法があるのだという希望の光、未来への切符だった。

診断直後はトンネルの中でわずかにさす光をたよりに手探りで歩んでいたと思う。でも前に前にと歩むことを諦めずにいたら、いつの間にかトンネルから抜け出していた。子どもたちが自分の道を歩み始めた。

諦めなくてよかった。本当に諦めなくてよかった。

 


 

*1:Guillermo EstradaによるPixabayからの画像

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