先日、Twitterで見かけた「なおりはしないがましになる」(小学館・カレー沢薫)、なんだか面白そうだったのでさっそく取り寄せて読みました。
地方在住の主人公(著者のカレー沢薫さん)は典型的な片付けられない人、仕事部屋はすごい汚部屋。集中力がなく脱線癖もあって、ADHDの特徴全開という感じです。編集の担当さんの勧めで都内の医療機関を受診します。
「月刊!スピリッツ」で連載をされていたそうです。知りませんでした、すみません。Twitterで見かけて勝手に主人公(著者)は男性だと思い込んでいました。読み進めて「あれ?あれ?」となって女性だったことに気が付きました。重ねてすみません。
個性的な絵とポンポンと飛びまくるエピソード、ドドドドドドーッとものすごい勢いで進んでいきますが、成人期の発達障害あるあるに「わかる、わかる」と思うことがたくさんありました。
ただ著しく怠け者で自己中心的な人では?
そもそも病院にくるようなことだったのだろうか
社会、いや人間に向いてないのでは?
成人してから(思春期を過ぎてから)診断を受ける人は、同じようなことを考えてしまうのではないでしょうか。
タイトルには「なおりはしないが」とありますが、私は「治る」とか「治らない」とか、どっちでも良いと思っています。人によって「治る」の定義が違いますし、診断基準を満たさなくなった場合など、それをどうとらえるのかも人それぞれ違うように思います。
子どもたちが毎日を楽しく穏やかに遊んだり勉強したりできるように心と体を整え、本人が自発的に努力できる環境を用意し伸ばせるところは最大限に伸ばす、そういうことを考える方が私にとっては大事でした。
成人の場合も自分を知って環境を整えいろいろな工夫することで、うまくいくことがたくさんあると思ってます。自分を知ることも世の中の多数派のことを知ることも、生きる術につながります。私は今のくらいに心も体も元気な状態(加齢分は除く)で子育てしたかったなと思います。
「なおりはしないがましになる」は周りにひたすら理解を求めるような感じではなくて、当事者にできる工夫や発想の転換などがわかりやすく描かれています。
ちなみに、私がいちばん印象に残ったのはこの場面です。
私も、何度もうつ状態になったので本当にそうだと思います。
医療監修者・五十嵐良雄先生のコラムもわかりやすい解説でした。
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