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「オレはバカだから字が書けないんだ」
長男にはLD(学習障害)の診断もある。小学生になってから字を書くことや覚えることがとても難しいとわかった。
読みには困難さがないように見えたが(中学の後半くらいになってから行間の狭い横書き文の読みにけっこうな困難さがあるとわかった)、漢字の読み間違いが多かった。実は大学生になった今でも声に出すと漢字をけっこう読み間違える。
彼は小学生の時から読書家で色々な本をよく読んでいた。黙読は漢字の読み方をすっ飛ばして、意味をくみ取って読んでいたのではないかと想像する。
書字困難になる原因はいろいろあるのだと思う。「字を書くのが苦手」「漢字が覚えられない」という表面的な症状が同じでも原因は人それぞれ違うのではないだろうか。形の認識、音韻の認識、手指の動作、かくれ斜視、体幹、いろいろな要因がありそうだ。
私は素人なので専門的なことはよくわからないが、専門家であっても、自分の専門外が原因だと「単なる苦手でしょう」で片付けてしまう人がいる。うちの長男も、とある学習障害の専門家の先生から「単なる苦手、地道な練習が必要」と言われたことがある。
「字がうまく書けない」「漢字を覚えられない」「漢字を書こうとしても形が思い出せない」そういう苦手は本人が一番よくわかっていた。
彼は「オレはバカだから字が書けないんだ」と泣いたりいじけたりしていた。「バカじゃないよ」と励ましていたが、あの時の長男の心には届いていなかったかもしれない。算数でも繰り上がりのたし算や繰り下がりのひき算に苦労していた。そして、かけ算の九々の暗記で盛大につまずいた。
NHKスペシャル「病の起源・読字障害」
ちょうどその頃、たまたまテレビを付けたらNHKスペシャル「病の起源・読字障害」が放送されていた。
もう10年以上前なので誤りがあるかもしれないが、手帳にメモしていた内容は次のようなことだった。
- 英語圏の国では約10%の人、日本では5%の人が読み書きの困難さを抱えている。
- 脳の情報処理の問題である。
- 恐竜研究のジャック・ホーナー博士は小さな骨の化石を見ただけで、どの部分かわかる。
- 博士の読み書きの力は小学3年生程度。
- 学生のレポートは1文字ずつパソコンに入力して読み上げソフトを使う。
- イギリスで建築を学んだ藤堂さんは、小学生の時から読み書きの苦手があった。
- 16歳でイギリスに留学し診断を受ける。
- 大学時代の恩師の言葉「お前は面白いものを持っている。頭の中においておくだけではダメ。とにかく手を動かせ」
- アメリカには読み書きに困難さを抱えた子どものための学校がある。
- 腕を大きく動かして空書きしたり、声にだしたり、運動の感覚を利用して全身の感覚を使って、読むために必要な(脳の)つながりを強める。
- その学校で指導する先生の言葉「文字は道具である。使いこなすための練習が必要だ」「小さいうちに見つけて、適切な指導を受ければどのような子でも読めるようになる」。
NHKスペシャル | 病の起源第4集読字障害~文字が生んだ病~
この番組を見て、うちの長男も何とかなるかもしれないと思った。
「海馬 脳は疲れない」
その後、ある本に出会った。「海馬 脳は疲れない」(池谷裕二・糸井重里 新潮文庫)だ。
この本は池谷裕二氏と糸井重里氏の対談本である。出版時は助手だった池谷裕二さん、現在は東京大学薬学部の教授で脳のことを研究されている。
この対談の中で、池谷さんは小学生の時に漢字が覚えられなかったことや大学の講義で漢字の間違いを学生に指摘されることを話しておられた。また、九々の暗記ができなかったことや数学の公式も覚えられなかったとも。
すごいのは九々の暗記ができないからと諦めるのではなく、10倍することと2倍すること、半分にすることの3つ方法とたし算ひき算で答えを出せるようになったそうだ。数学の公式も丸暗記ではなくいちいち公式を導きだして解いていたという。そして池谷さんは気が付いたのだ。
「公式を丸暗記している人よりも、公式を導き出せる人の方が、原理を知っているから応用力があるんじゃないか?」
もう一つ、とても大事なことが書いてあった。池谷さんは自分が馬鹿だと思ったことがない。「俺は馬鹿だ」「俺は馬鹿だから」と発してしまうと自分をそこに固定したことになるのだと。悪い言葉は呪いになってしまう、これは恐ろしい事だと思った。
この本を読んで、またまた、もしかしたらうちの長男も何とかなるかもしれないと思った。池谷さんにご迷惑をおかけすることになってはいけないと思って、拙著ではこの本には触れなかった。
ほんの少し、頭の中の回路がうまくつながっていないだけ
まずは長男の「オレはバカだから」を何とかしたかった。私は手帳の空いたページに適当なイラストを描きながら説明をした。

- 脳みそのしごとは入力と出力。
- 必要な情報をためる。必要な情報を引っぱり出す。必要な指令を出す。
- 漢字を読めるから見て覚えるはできている。
- 漢字を書くための指令、手を動かす指令がうまく出ていないか、うまくつながっていない。
- だからもう一つ、指令を出すための回路を作ろう。
- これからいろんな方法を試してみよう。
- 君は絶対にバカじゃない!
この説明が本当に正しいのか、よくわからない。今、読み返すと微妙に違うところがあるように思えるが、当時の私にはこれが精一杯だった。私はとにかく「ほんの少し、頭の中の回路がうまくつながっていないだけなのだ」と長男に知ってほしかった。そして、親はいつでも君の応援団なのだと。
彼にとってどんな方法が良いのか具体的にはわかっていなかった。でも絶対にその方法があると確信していた。根拠はない、でも信じていた。だから、いろんな方法を試した。
漢字の由来や象形文字から学べるテキストやカルタ、迷路のプリント、なぞり書き。何かしら情報を拾い集めて「こんな方法があるよ。試してみる?」と提案を続けた。強制しなかったつもりだが、彼はプレッシャーを感じていたかもしれない。
中学で英語が始まるとブロック体が書けなかった。一つ一つの文字は書けても単語の区切りがわかるように文字間を調整しながら書けないのだ。ふと思い立って筆記体で書くことを勧めてみたら、すっかりハマって「筆記体を書けるオレ、かっこいい」になり(中二病的な何かだったのかもしれない)自発的に練習するようになった。
筆記体で英文が書けるようになると、成績が飛躍的にあがった。書くという動作は本来ならインプットでもありアウトプットでもあるのだろう。これを単なる作業にしてしまうと苦行になるだけでなく、大切なことが何も残らないかもしれない。
中学でもプリントやテストの拡大をお願いしていたが、なかなか徹底してもらえなかった。先生たちは「小さい字を枠の中に書けるようにならないと、社会に出た時に本人が困る」と考えていたらしい。
私はそんなことよりも、大きな文字しか書けなくても良いから書くことの苦痛を取り去り、学力をつけることを優先させたかった。長男が中学生になる前から「将来、この子が受験生になった時、国立大学の一般入試でキーボードやタブレット端末の使用は認められる保証はないが、問題・解答用紙の拡大なら何とかなるはずだ!」と私は考えていた。
苦手の裏に才能が隠れているかもしれない!
長男は一貫校だったので内部進学で高校進学した。それに合わせて、私は「国立大学の一般入試を見据えて徹底的にプリントやテスト用紙の拡大をして欲しい」とお願いをした。
すると、先生方は「彼が実力を発揮できるように、彼が夢を実現できるようにサポートするのが、我々の仕事です」と快諾して下さった。「え?」と思うくらいあっさりとトントン拍子に話が進んだ。
受験上の配慮申請には個別の教育支援計画の作成などによる高校在学時に受けた配慮の記録が必要になる。本人に対する直接的な支援だけでなく、先生方の事務的な作業も増えるのだ。配慮には大変な手間と時間がかかる。その労力を惜しまず対応して下さった先生方にはどんな言葉でも言い尽くせないくらいに感謝している。
高校の先生方のおかげで彼は学ぶことを諦めることなく着実に学力をつけた。そして実に面白い文章を書くようになっていた。高校生の時、本人抜きの面談時に担任の先生が「彼は、なかなか面白いですよ」と、本人には内緒で見せてくれた学級日誌は斜め上を行っていたのを思い出す。
民間の模擬テストも高校の先生が、大手のBとかSとかKとかと交渉してくださり拡大用紙で受けることができた。英検もチェック解答、英作文は拡大用紙を使わせてもらった。
センター試験や個別試験で受験上の配慮(マークシートのチェック解答や問題・解答用紙の拡大)を申請し認めてもらえた。長男は無事に試験を突破して国立大学の数学科に進学した。受験のためではない勉強ができる大学生活を楽しんでいる。
長男は、彼なりによく努力をしてきたが、今でも字を書くのが苦手だ。何とか書けるようになったが漢字もひらがなも小学生のような拙さだし小さい文字は書けない。当然、英語は文章をブロック体で書けない(筆記体ならきれいに書けるし、Wordを使った英作文もこなせる)。
ただ、どんなに汚くても数字や記号やローマ字などが何とか書けるようになっていて良かったと思う。高校以降の理系科目はキーボードで板書を取るのは厳しかっただろうし、あれこれ考えながら試行錯誤をするなら紙にペンで書けるほうが早い。
現在の長男はiPad にノートアプリを入れてApple Pencilで手書きしている。大学の講義では、iPadの手書きノートをPDFにしてメールで提出することもあるらしい。コロナ禍で提出物の電子化が進んだようだ。
タブレット端末での手書き。これは画面を簡単に拡大できるので、自分が楽な大きさにして文字を書ける。それに加えて消しゴムで紙をゴシゴシしなくて良いので紙が破れる心配もないので、なかなかお勧めだと思う。
LDの専門家の中には「字が書けない子が無理に大学進学するより手に職をつけた方が良い」と主張しておられる人もいる。私も全員が大学へ進学する必要はないと思っている。しかし書字困難という表面的なことだけを理由に、高等教育への選択肢を奪わない方が良いと思う。
文字を書くのが苦手でも国語の才能がないわけではない。
九々の暗記ができなくても数学的思考ができないわけではない。
わが子を見ていると、心からそう思う。そしてこれから育つ子どもたちに諦めないでと伝えたい。
ちなみに長男は今でも7×8の答えを出すには2秒くらいかかるという。
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