いつか終わる子育て・うれしかったこと

長くて短い子供と一緒に過ごせる時間

わが家の長男は大学3年生になりました。診断を受けたのは5歳のときで、もう16年も経ちました。

長男と次男の子育ては右往左往しながら手探りで、不登校や反抗期、お巡りさんのお世話になるような兄弟ゲンカ、次から次に事件(?)が起きて、渦中にある時はそういう状態がずっと続くように思えました。

そのなかで、親にできるのは「彼らが努力できる環境を整えること」しかないという考えにいたり、及ばずながら私なりに精一杯やってきました。

とはいえ、不安になったり心配になったりの繰り返しで、
「子供のために良かれと思ってやっていることが本当に良いことなのだろうか?」
「親の勝手な押し付けになっていないだろうか?」
「この子達を親がいなくても生きていけるように育てられるだろうか?」
自問自答で頭の中がいっぱいになる日も、不安に押しつぶされそうな日もありました。

でも過ぎてしまえば、あっという間、子供たちが巣立ってからは過去を振り返って、もっと優しくしてやれば良かったと思ったり、子供を傷つけてしまったことを悔やんだりです。

時々、子供に「一緒にいる時に、もっとちゃんとしてやればよかったと思う、ごめんね」と謝ったりしてましたが、「もっと反省して」と意地悪そうに笑って茶化されていました。

なぜお母さんが褒められるのかという不満

彼らが大学に合格したとき、周囲の人たちからお祝いだけでなく、親を褒めるような言葉を聞かされたのでしょう。

「頑張って勉強したのはオレなのに、なんでお母さんが褒められるのか意味がわからん!」と長男も次男も同じ不満を口にしました。

確かに大人はそういうことを言いますね。私も将棋の藤井聡太さんをテレビで見た時に「お母さんは、どんな子育てをされたのかしら?」と考えていたなと思いました。

でも、その言葉には「本人の努力あればこそ」が前提として含まれているのですが、子供たちには受け取れなかったのかもしれません。

努力は環境に左右されるものだから

先日、長男とfacetimeでとりとめのない話をしていた時、私は長男に言いました。

キミたちが希望通りの大学に進学したことをお母さんの手柄のようにお母さんを褒める人がいるけれど、勉強したのはキミたちで努力したのもキミたちだから、お母さんは自分の手柄だなんて思ってないんだよ。

今までの長男なら「そうだよ!お母さんの手柄じゃない!」とムキになっていたはずですが、今回は穏やかな口調で予想外の言葉を返してくれました。

お母さん、確かにボクは努力したし、その努力がなかったら今のボクはいないんだけど、でもね、努力は環境に左右されるものだから、お母さんはね、ボクがして欲しかったことは全部してくれたと思っているよ。

長男は努力できる環境という土台があったから自分は努力できた、その土台作りはお母さんがしてくれたんだと認識してくれていたんですね。ちょっと泣きそうになってしまいました。

夜、眠る前に長男の言葉とともに一緒に過ごした日々を思い出しながら「ああ、私の子育ては終わったんだな」と涙が流れてしまいました。

いつまでも親子ではあるけれど

我が子はまだ学生で本当の意味で自立しているわけではないけれど、親元を離れて一人暮らしを始めて成長しています。

彼らと一緒にいた時もできるだけ子供扱いせずに人として対等に接することを意識してきましたが、これからは本当に大人同士の関係になっていくのでしょう。

親にとって子供はいつまでも愛おしい存在、いつまでも親子であることに変わりはありませんが。

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